由来碑マップ
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014白明坂(武蔵台2-7)
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この坂の名は、新田義貞と北条泰家が元弘3年(1333)5月に鎌倉幕府の興亡をかけて戦った折に、義貞が幕府方を分倍河原に攻め込もうとしてこの坂まで疾駆しましたが、ここで夜が明けてしまったことに由来するといわれます。別名を「見返り坂」とも呼ばれています。
この坂道は鎌倉街道の裏街道ですが、中世には多くのつわものどもが駆けめぐったことでしょう。この坂の位置をもう少し西方とする説もあります。