由来碑マップ
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137渡し一の宮渡し(四谷1)
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一の宮渡しは、四谷と対岸の一の宮(現多摩市)との往来のために設けられていた渡しで、一の宮村が管理していたことからその名があります。この渡しは、明治13年に一の宮村の作場渡し(農耕渡し)として開設されたようです。その後、一般往来者にも供されるようになり、昭和12年の関戸橋の開通まで細々と続いていたそうです。
『新編武蔵風土記稿』(幕末の地誌)の「一之宮村」の項には「渡 当村より中河原村へかよふ船渡なり、よりて一宮ノ渡と呼べり」と誌されています。幕末頃には、一の宮と中河原とを結ぶ渡しであったようです。
多摩川通りの八中・四谷小と西府緑地との間の道との角で、西府緑地側に碑があります。