由来碑マップ
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139渡し是政渡し(是政4)
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是政渡しは、是政と対岸の大丸(現稲城市)とを結んでいた稲城道(川崎街道)筋の渡しで、是政村が経営していたことからその名があります。
『新編武蔵風土記稿』(幕末の地誌)の「是政村」の項には「多摩川(中略)此所に渡舟あり、大丸村への往来を渡す、冬は土橋を架して渡舟を出さず」と誌されています。渡し賃は、明治15年で平水時(2尺5寸)旅人通行(1人)8厘、1人乗人力車(1輌)1銭6厘、大八荷車(1輌)2銭5厘でした。
この是政渡しも、昭和16年に是政橋(木橋)が完成し、その姿を消しました。