南会津郡只見町
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只見町に行ってきました。(2011/5/1-5/2)
地名の由来を調べ、只見町ホームページから、 「只見町史 資料集 第5集」(只見町史編さん委員会編集、福島県只見町発行) を見つけました。 方言が主になっていますが、地名についての記載がありました。

叶津(かのうづ) 只見(ただみ) 石伏(いしぶし) 田子倉(たごくら) 塩沢(しおざわ) 蒲生(がもう) 寄岩(よりいわ) 十島(じゅうじゅま) 梁取(やまとり)) 小林(こばやし) 坂田(さかた) 布沢(ふざわ) 大倉(おおくら) 二軒在家(にけんざいけ) 塩<ノ>峡(しおのまた) 黒谷(くろたに) 長浜(ながはま) 亀岡(かめおか) 熊倉(くまぐら) 荒島(あらしま) 福井(ふくい) 小川(おがわ) 楢戸(ならと) 黒沢(くろさわ) 会津塩沢駅 会津蒲生駅 只見駅 田子倉駅 成法寺

地図は『カシミール3D』より作成しました。

明治初期の村名が大字となっています。
が、旧伊北村(明27 只見村に改称)に属す。
が、旧朝日村に属す。
が、旧明和村に属す。

●只見駅中心の地図(国土地理院 地図閲覧サービス)が別ウィンドウで開きます。




只見町概要
◎只見町(ただみまち)
福島県の西南にある南会津郡に属し、四方を山に囲まれた豪雪地帯で、緑と水の郷という。
只見川には多くのダムがあり、電源地帯となっている。
只見川(只見地区)、伊南川(明和、朝日地区)流域に集落が形成されてきた。
ダム建設により多くの宅地・田畑が水没し、集落が四散した。 ダムに係る記載が町史の目次に見うけられる。
東京方面からは小出からの只見線と東武線を使った会津田島経由の二系統がある。 会津田島経由は会津田島〜只見のバスが廃止され、自動車のない旅行客にはきつい。 (会津田島〜只見:56.5km タクシー16,340円『只見町観光まちづくり協会』)

明27
伊北村を只見村に改称
昭30 明和村と合併
昭34 朝日村を編入し、只見町となる。
○会津(あいづ)
『古事記』『万葉集』の古代からその地名は存在し、石背(いわせ)国に属した。
明12 北会津、南会津の2郡に分割される。
○南山御蔵入(みなみやまおくらいり)
南山は只見川上流の山岳地帯一帯を指す地名で、 会津の南部地域に位置する山々の意とされており、 鎌倉時代から見られる。
江戸時代に幕府領となって(1634)より、南山御蔵入と称せられるようになった。
○伊北郷(いほうごう)
伊南川(いながわ)流域のうち、南会津町界(みなみあいづまちさかい)を境界として、 上流域(南)を伊南郷、下流域(北・北西)を伊北郷と称した。
鎌倉時代から見られる。

伊北村
◎伊北村(いほうむら)
明22 田子倉、石伏、只見、叶津、蒲生、寄岩、塩沢、十島の八か村が合併して成立。
新村名選定事由書に
 「古来、本村地方ヲ総称シテ伊北郷ト呼ブニヨリ、其名称ニ原ツキ伊北村ノ新命ヲ付セリ」
とあるように伊北郷の郷命に基づいて村名とした。
明27 只見村に改称。
【叶津(かのうづ)】
「カノ・カノー」は焼畑のことで、刈野を語源とする民族地名である。 叶津の由来か。
会津と越後の交易路(八十里越)にあった旧叶津番所があり、 裏に国指定重要文化財(建造物)旧五十嵐家住宅がある。
【只見(ただみ)】
地名の由来は、弘法大師が自ら彫った福満虚空蔵菩薩像(ふくまんこくうぞうぼさつぞう)を、 柳津(やないづ)・円蔵寺の堂に安置した後、 霊場とすべき地を、この川上に求めて尋ね歩いたけれど、 ここと思われる場所もなく、ただ見過ぎて帰った故事により只見川と称するようになったという。
【石伏(いしぶし)】
【田子倉(たごくら)】
田子倉ダム(昭35竣工)により水没した。
「南会津郡只見町所在地コード一覧」(平成元年只見町役場作成)を出典とする 「只見町字名一覧」にある字名は25を数えるが、 地図等で確認できた字名は菅目(すがのめ−田子倉ダムの左岸所在地:Wikipedia)、 後山(うしろやま−田子倉駅の所在地:JR東日本駅情報)の2字。
【塩沢(しおざわ)】
『会津風土記』に「東ニ川有リ、其ノ滸(ほとり)ノ岩穴潮ヲ出ス、里民之ヲ煮ル(読み下し文)」、 『新編会津風土記』に「村中ニ塩井アリ、村名ノ起ル処ト伝」とあり、 塩井が地名の起源とされている。 塩井の条下に、村名の塩沢川東岸の巌穴(がんけつ)の間にあって周囲六尺余、深さ一丈余、 かたわらに塩焼き小屋が六軒あって、村民は農間に井水を汲んで煮て塩を製し、他村まで売り出した。 塩の味わいは軽く、色は白いとある。
江戸期には塩焼き釜が四基あって製塩を行い、 明治期には年間四〇〇俵を産した。 明治四十二年塩の専売法施行にともなって廃したが、 昭和二十年の太平洋戦争終戦後の食料・諸物資欠乏の折にも一時的に製塩を行った。
近くに鎮座の塩竈(しおがま)神社には「塩掘リツクシ(掘り棒)」と称する 長さ三十センチばかりの黒石五枚が納められている。
【蒲生(がもう)】
「ガモー(蒲生)」は只見川に注ぐ蒲生川の川口に位置し、「ガマ(蒲)の生える水辺の地」を意味する。
【寄岩(よりいわ)】
【十島(じゅうじま)】

明和村
◎明和村(めいわむら)
小梁、八幡、布沢の三か村が合併して成立。
新村名選定ノ理由
 新村名選定ニ付テハ従前ノ村名小梁、八幡、布沢三カ村ノ名ニ因ム適切ナル名称ヲ得サルヲ以っテ、 村ニ於テ懸賞募集ニヨリ選定ノ案ヲ立テ、 曩(先)ニ村名募集ヲナシ、百数十ノ応募村名中、明和村ハ審査ノ結果本県下ニ同名無ク、 且ツ簡明ニシテ而カモ明朗平和モ表徴シ最モ適切ト認メテ之ヲ新村名ト為セリ。
○小梁村(こやなむら)
明22 梁取村と小林村が合併して成立。
【梁取(やなとり)】
村里にある成法寺の背後、寺沢を隔てた山上の岩窟(がんくつ)に虚空蔵菩薩の小堂宇(しょうどうう)があり、 弘法大師の開基と伝えられている。 大師はここを霊場にしようかと思案し、柳津との間を川に沿って八度も行きつ戻りつしたことから、 この地を八戻(やもどり)と称した。 後世これにより梁取と改めたそうである。
【小林(こばやし)】
○布沢村(ふざわむら)
明22 坂田村と布沢村が合併して成立。
【坂田(さかた)】
明8 布沢口(ふざわぐち)村と滝原(たきのはら)村が合併して成立。
【布沢(ふざわ)】
サー・ザーとは渓谷・渓流のこと。 本流・主要支川以外の小渓谷をおしなべてサー・ザーと称し、沢と表記する。 サー・ザー(沢)は東日本ではタニ(谷)を意味し、西日本のタニと相対している。 ちなみに西日本のサワは沼沢地のことである。
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布は麻布の意か。隣接する昭和村は「からむし(苧麻)織の里」を観光としている。
○八幡村(やはたむら)
明22 塩ノ峡(しおのまた)、二軒在家(にけんざいけ)、大倉(おおくら)の三か村が合併して成立。
福島県への町村合併諮問答申書に対する意見上申には、
 「新名ハ三カ村ノ中央ナル八幡神社ハ著名ノ古社ナルニヨリ、之レニ基ツキ、八幡村ト称シ(タ)」
とある。三か村合併の上で小梁・布沢両村と組合村となっている。
【大倉(おおくら)】
クラとは
@岩の露出した断崖や高い山のこと。倉・ーの文字をあてる。
A谷のこと。クラは山名に多いが、谷川名や集落名にもなっている。 谷川のうちでも崖や岩場を有するものについていう場合が多い。 大倉は集落名に使われたものの一つ。
【二軒在家(にけんざいけ)】
【塩ノ峡(しおのまた)】
塩ノ岐川の最上流部に位置する八塩田(やしおだ)という集落があり、 江戸時代には三軒の家があったが近代になって無人化した。 昔あった八つの塩田が地名の起源という。
マタとは河川・沢の支流のこと。峡・又と表記する。 塩ノ峡・塩ノ峡川も伊南川の支流にあたるところからそうよばれたものか。

朝日村
◎朝日村(あさひむら)
明22 亀岡、熊倉、荒島、長浜、黒谷、福井、小川、楢戸、黒沢の九か村が合併して成立。
新村名選定事由書に、
 「此新村名ハ本村ニアル朝日岳、著名ナルニヨリ之レニ原ツキ朝日村ノ新村名ヲ選定セリ」
とあるとおり、会津朝日岳にちなんで村名とした。
「アサヒ・ヤケヤマ」は朝日が当たり、朱に染まる山。 只見町の名峰・会津朝日岳も旭光を受けて輝くことからの命名で、 『新編会津風土記』に、「此山のみ諸朝に日を見る故に名とする」とある。 また、日がよく当たる山をヤケマタと通称する。
【黒谷(くろたに)】
クロとは田畑の畦畔(あぜ)や縁(へり)、 転じて山・川の縁辺に開けている小高い平地で開発に適した土地のこと。 黒谷・黒沢の二集落がある。
ことに黒谷は只見町内では広大かつ肥沃(ひよく)な土地柄で古くからの田所(たどころ)であった。 『新編会津風土記』は「此辺の諸組に比すれば土地稍(やや)潤肥にして五穀乏(し)からず」 と記している。黒谷はクロとタニの複合した地名。 ちなみに黒谷の村名は中世から文献にみえる。
【長浜(ながはま)】
ハマとは河川の沿岸にあって、洪水のときに完遂する川原や湿地のこと。 浜と表記する。
長浜は伊南川の左岸に位置し、集落は山寄りの場所に展開している。 かつて、川岸付近は砂っぽの石河原で、その中間は沼もあるヤチだった。 水田は腰までつかるヒドロ(泥田)で洪水のときは度々水がのるありさまだったので 長浜とよんだものだろう。
【亀岡(かめおか)】
かつて泥島(どろしま)村といわれ、伊南川右岸にあって低地のため、古来水害を被ることが多かった。 泥水を被り、そのあとは一面泥地と化するシマ(居住地)であったようだ。 明治十年、村人はこの地名を廃し、吉慶の好字をもって亀岡村と改めた。
【熊倉(くまぐら)】 クマとは山間の屈曲した河谷または水流の折れ曲がっている地形のこと。 熊倉は他の集落同様に屈曲した河谷にあり、耕地が低地にあるため、 水害を被ることが多かった。 クマとクラの複合した地名。
【荒島(あらしま)】
【福井(ふくい)】
上荒井(かみあらい)、下荒井(しもあらい)とも江戸期〜明治十年の村名。 寛永二十年荒井村が分村して成立。 明治十年に両村が合併して福井村となった。
アライは新しい用水路を意味することが多く、 用水路を新しく開いて水田を潤したことによる地名が起源か。
『新編会津風土記』に用水路すなわちセキ(堰)に関する次の記事がある。
 黒谷村の条下に
  黒谷堰 村南にて黒谷川を引き、田地を潤し、上下荒井両村の方に注ぐ。
 上荒井、下荒井の条下に
  黒谷堰 黒谷村の方より来り数派となり両村の用地に灌ぐ。
とある。
ちなみに、当地域のセキ(堰)は取水口の施設および灌漑用水路のことである。
【小川(おがわ)】
【楢戸(ならと)】
【黒沢(くろさわ)】 クロ(黒谷参照)とサワ(布沢参照)の複合した地名。

端村・小名
【木地小屋(きじごや)】
布沢村田沢川上流にあった、江戸期における木地挽き職業集団の居住地名。 『新編会津風土記』布沢村端村の条下に 「木地小屋 田沢 本村の辰巳の方二里十八町にあり、家数八軒、 (中略)四方に衆山連(な)り幽邃(ゆうすい)の村なり」とある。
木地小屋は江戸期における普遍的な名称で、 『新編会津風土記』には南会津郡内だけでも数か所を数える。
【居平(いだいら)】
居住地を示す地名で、集落のほぼ中央に位置する。 『新編会津風土記』に「ゐたひら 広平の地」とあるように、平坦地である。 集落形成の上で最も早く開けた住居適地らしく、 名主家などの権威者や旧家が多く占めていた土地である。 熊倉・叶津・蒲生・寄岩・十島にこの地名があり、 地勢や集落形成の史的展開ともかかわりがあるらしい。
【沖(おき)】
小字に多い地名で、本村から遠く離れた場所にある小集落、 または集落の地先にある田畑や原野の開けた場所を示す地名で、 川辺などの沖積によって形成された肥沃な土地である。 『新編会津風土記』にみえる沖は黒谷・熊倉・梁取・二軒在家・黒沢・只見にある。 また、沖中島(只見)とか沖ノ原(長浜)という地名もあり、 「沖」のついた地名はかなりある。
【五百苅(ごひゃくがり)】
水田を地籍でなしに、そこから収穫する稲束の数量で表した地名。 小林・布沢・福井・楢戸・田子倉などに数ある地名。 単位は「二十苅」から始まって十刻みで、 「百苅」から「六百苅」までは百刻みで、数量化されている。

その他
☆会津塩沢駅
只見町の東端の駅。河井継之助記念館。
☆会津蒲生駅
蒲生岳の登山口。
☆只見駅
只見町の中心駅。駅舎からホームはかなり離れている。 只見駅構内に物産販売店「meckeel」がある。
会津若松−小出間の全線通しの運行は3往復で、只見−小出間に1往復運行。
☆田子倉駅
只見町西端の駅。 4月〜11月の間臨時停車する臨時駅。 田子倉トンネルと六十里越トンネルの間にある。 六十里越トンネル中に福島・新潟県境
卍成法寺
国指定重要文化財(建造物)である成法寺観音堂(じょうほうじかんのんどう)は 成法寺境内にある和様と唐様をとりまぜた端整な観音堂。 永正九年(1512)の巡礼札から室町時代後期の建築とみられる。 聖観音菩薩坐像とともに中世の只見地方の高い文化水準がうかがえる。 桁行三間。御蔵入三十三観音一番札所。 (「只見町文化財探訪」より)

以下の本を参照し、抜粋・要約しました。
・「只見町史 資料集 第5集」(只見町史編さん委員会編集、福島県只見町発行)

「福島県只見町公式ホームページ」 (http://www.tadami.gr.jp/)を参照しました。