由来碑マップ
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052地名押立(押立町4-4)
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押立(おしたて)は、現在の押立町4丁目の一部(押立通り・押立文化センター北側道路沿い)に集落の中心があった村落です。
幕末の地誌には「民戸94軒」(『新編武蔵風土記稿』)とあり、集落としては大きい方です。村は慶長元年(1596)の洪水によって南北に分断されたため川の南に向押立(稲城市)を残して定着したものです。
地名の起こりは、不明ですが、村内の水田が多摩川の洪水によって押切られたことによるとか、人名によるとかの説があります。
江戸時代に南北武蔵野新田開発や美濃の治水事業等に大きな功績をあげ、名代官の誉れ高い川崎平右衛門定孝は押立村の出身です。