由来碑マップ
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070地名人見(若松町3-36)
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人見(ひとみ)の集落は、現在の若松町3・4丁目の一部(人見街道沿い)に中心があった村落です。
古く、人見の集落は、街道筋ではなく浅間山の麓にあったと伝えられています。街道筋に集落を開いたのは、近世以降のことだそうです。幕末の地誌には「民家58軒、府中路(人見街道)の往来に並居す」(『新編武蔵風土記稿』)とあります。地名の起こりは、不明ですが、武蔵7党の人見氏一族が来往していたという説があります。あるいは、浅間山(人見山)が、遠くを見たり遠くからも望める格好の場であることから起こった名義かもしれません。正平7年(1352)に浅間山周辺で行われた足利尊氏と新田義興・義宋兄弟の戦いが、有名な人見原合戦です。